食品の裏側に潜む闇——FDA以前の食べ物は危険だらけだった
私たちが普段、何気なく手に取るスーパーマーケットの食品。その安全性は、当たり前のように保証されていると感じます。ですが、100年前、食べ物は決して「安心できるもの」ではありませんでした。今回は、アメリカにおける食品安全の歴史をひも解き、かつて人々が直面していた驚くべき現実と、現代の食品との違い、そして「食の番人」ともいえるFDA(アメリカ食品医薬品局)の役割について紹介します。
産業革命と共に始まった「食の自由市場」の闇
19世紀中頃、アメリカでは産業革命に伴い食品の大量生産と都市部への流通が進みました。しかし、連邦レベルの食品規制は存在せず、食の現場はまさに「無法地帯」でした。
たとえば、西部劇でよく目にする風景——カウボーイたちが焚火を囲み、長旅の疲れを癒すようにすする熱いコーヒー。当時流通していた挽いたコーヒーの80〜90%は骨粉や鉛、焦がした種子などの異物で偽装されていたのです。シナモンはレンガの粉、胡椒は貝殻や焦げたロープで代用されるなど、スパイス類も例外ではありませんでした。香ばしさや癒やしとは程遠い、危険な偽装食品。それが当時の庶民の食卓を支配していたのです。

- 牛乳やバターには防腐剤としてホウ砂やホルマリン(防腐液)が使用され、腐敗臭や味をごまかしていました。
- 小麦粉やチーズには石膏や鉛化合物が混ぜられ、見た目や食感が調整されていました。
- コーヒーやスパイスは、骨粉や鉛、こげた種などが混入。シナモンはレンガの粉で代用されることも。

「安い商品ほど危険」とされ、裕福な層以外はこうした粗悪品を避ける術がほとんどありませんでした。
命を脅かす偽装食品の被害
これらの偽装は味や品質の問題だけでなく、命に関わる深刻な事件も引き起こしました。
アメリカだけでなく各国の事例をみてみましょう。
1. スウィルミルク事件(1850年代・ニューヨーク)
蒸留所の廃液(スウィル)で飼育された病弱な牛から搾乳されたミルクに、水、石膏、モラセス(糖蜜)などを混ぜて販売。この「スウィルミルク」により、1858年には約8,000人の乳児が死亡したと報告されています。
2. ホルマリン入り牛乳による被害(1900年・インディアナ州)
インディアナ州の孤児院で、保存料としてホルマリン(ホルムアルデヒド)を添加した牛乳を摂取した乳児が死亡。1900年には3人の乳児が死亡し、さらに2年前には少なくとも30人の子どもが死亡していたことが判明。1901年には、ホルマリン、汚染物質、細菌による牛乳の汚染が原因で、400人以上の子どもが死亡したと報告されています。imhm.org
3. 着色料による食品偽装
19世紀の食品には、鉛、ヒ素、水銀などの有害な金属を含む着色料が使用されていました。例えば、赤鉛(鉛丹)はチーズや菓子の着色に、ヒ素を含む緑色の顔料はキャンディやその他の食品に使用されていました。銅砒酸塩は使用済みの茶葉の再着色に使われていました。これらの有害な着色料は、消費者の健康に深刻な影響を及ぼしました。 AACT
ヒ素の食品混入による深刻な健康被害事件
ヒ素入り飴事件(1858年・イギリス・ブラッドフォード)
1858年、イングランドのブラッドフォードで、誤ってヒ素が混入した飴が販売され、20人が死亡、200人以上が重篤な症状を呈しました。この事件は、食品の安全性に対する意識を高め、1860年の「食品または飲料の混入防止法」制定のきっかけとなりました。
森永ヒ素ミルク事件(1955年・日本)
1955年、日本の岡山県など西日本一帯で、森永乳業が製造した粉ミルクに猛毒のヒ素が混入し、1万2000人以上が被害を受け、130人の幼い命が失われました。生き残った被害者も重度のぜん息、知的障害、身体障害など深刻な後遺症に苦しみ、今も支援と救済活動が続けられています。
食品安全への転機「ピュア・フード・アンド・ドラッグ法」とFDAの誕生
食品業界の杜撰な状況を変えたのが、1906年に制定されたピュア・フード・アンド・ドラッグ法(純粋食品・医薬品法)です。これは、食品と医薬品の品質と表示の適正を定めたアメリカ初の連邦法で、FDA(米食品医薬品局)設立につながる重要な一歩となりました。

FDAとは? 〜 食の番人の役割
FDA(Food and Drug Administration)は、アメリカにおける食品、医薬品、化粧品、医療機器などの安全性と有効性を管理・監督する連邦機関です。特に食品分野では、以下のような役割を担っています。
- 食品の製造・流通過程の監視と検査
- 食品添加物の使用基準の策定と許可
- 表示や広告の適正化
- 健康被害の防止とリコールの指導
FDAの存在により、消費者は「何を食べているのか」「それが安全か」を知ることが可能になり、現代の食卓の安心はこの監視体制に支えられています。

日本や他国の取り組み
アメリカだけでなく、他国でも食品安全の意識は高まってきました。
- イギリス:1859年のシュコフィールド法により、食品偽装への対策が始まりました。
- 日本:1947年の食品衛生法により、添加物や製造基準、表示方法が厳しく定められています。現在でも食品添加物のリストと使用基準が公表され、厳しく管理されています。
- EU(欧州連合):食品全般に対するリスク管理を行う欧州食品安全機関(EFSA)が中心となり、統一的な基準の下で規制が行われています。
現代の食品添加物と過去の比較
今日の食品にも保存料や着色料などの添加物は存在しますが、過去とは大きく異なります。現代の添加物は科学的な安全性試験を経て、使用量や用途が厳しく制限されています。
- 過去:効果優先で毒性が無視される例が多かった(例:ホルマリン、鉛、ヒ素)
- 現在:人体への影響を考慮し、安全が確認された物質のみが認可されている(例:ソルビン酸、ビタミンCなど)
添加物の使用には賛否がありますが、「無法時代」と比べれば、格段に安全な状況と言えるでしょう。
食品安全の歴史 年表(各国の主な出来事)
年代 | 出来事 |
---|---|
1785年 | アメリカ・マサチューセッツ州、「不良食品販売防止法」制定 |
1820年 | 英・アクムが食品偽装を警告する著書を出版 |
1851年 | イギリス、「ヒ素規制法」制定 |
1858年 | 英・ブラッドフォードでヒ素入り飴事件、米・ニューヨークでスウィルミルク事件が発生 |
1860年 | イギリス、「食品または飲料の混入防止法」制定 |
1868年 | イギリス、「薬局法」制定 |
1900年 | 米・インディアナ州でホルマリン入り牛乳による被害 |
1906年 | アメリカ、「ピュア・フード・アンド・ドラッグ法」成立 |
1930年 | アメリカ、FDA(食品医薬品局)正式発足 |
1947年 | 日本、「食品衛生法」施行 |
1955年 | 日本、森永ヒ素ミルク事件発生 |
現代 | 添加物の科学的評価と規制が強化され、食品安全基準が国際的に整備 |
まとめ:食の安全は「闘いの歴史」から生まれた

かつては毒物にまみれていた食卓が、今では安心して楽しめるものへと変わったのは、先人たちの努力と制度の整備によるものです。FDAはまさに「食の番人」として、今なお私たちの健康を守り続けています。
しかし、現代でも食品の安全を巡る課題は尽きません。未来の「食」を守るためには、私たち消費者も歴史を知り、賢く選ぶ意識を持つことが大切です。
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